2014年01月23日

『いつの日も泉は湧いている』

盛田隆二さんの新刊『いつの日も泉は湧いている』(日本経済新聞社刊)読了。

かなり夢中になって読みました。
作者は自分より5〜6年上の世代ですが、
いわゆる学生運動のピークには若干遅れてきた世代であり、
自分はそれよりさらに遅れてきた世代になります。

読み始めた段階では、これは作者の自伝的なものだろうか、
と思ったのですが、作品に関するインタビューなどを読むと、
必ずしもそうではなく、逆に「遅れてきた」世代であったことに対する
作者自身のさまざまな思いが込められている、ということのようです。



こうした「思い」を感じ取れるのは、
おそらく自分の世代くらいまでだろう。

昔のことを思い出してみれば、
思い出の中に、関連する出来事がいくつもある。

例えば、中学生の時には近くの大学で、
激しい紛争があり、通学路にもなる道路が、
長いこと閉鎖(通行止め)になっていた。

高校の時には、制服廃止を求めた動きが
生徒会を通じて実現しそうになった。
ところが肝心な時に、校内喫煙者の大量発覚・処分という事件があり
一気に立ち消えになってしまう、というお粗末な結果も・・・。

大学は付属高校からの進学だったが、
面接時の心得として、担任教師からは、
学生運動のことを聞かれたら、「関心がありません」
と答えるように言われたこと。
これも実際にはそんな話しは全く出なかったが…。

そして大学生の時には、
若干立て看板などが残っていたこともあったし、
学内の揉め事を切っ掛けに、学生証を見せないと
校内に入れなくなる事態もあった。
一年生の最後の試験も確か中止になっている。

で、一応はそんな、学生運動の残り香(?)のようなものを
嗅いできてはいる世代なので、
学生運動のピークの時代を大学生ほどの年齢で過ごした人たち、
そういう経験を持てた時代があったということに、
ある種の憧れがあることは確かなのだ。

しかし、一方でその気持ちの裏返しに、
ただただアジったり、デモやロックアウトをしたり、
結局のところは、内部分裂や組織の争い、
反社会的な活動に向かってしまって、
目に見える成果・結果も残せずに崩壊してしまった、
これらの運動・活動や当時の中心世代に対する恨み、
のような気持ちもある。



というわけで、
この時代のことをかなりシリアスに書いた
この小説がとても面白かった。

そして、この小説にもう一段の深みを与えているのは、
数十年前の出来事を真ん中にガッチリ置いた上で、
前後を現在の自分、仲間の話につなげてきて、
しっかり糸を張ったことだろう。

冒頭に書いたように、
自分もまた、遅れてきた世代ではあるけれど、
まだ僅かながら、こんな時代と繋がりがあったのだ。

この小説を、「繋がり」がない世代はどう読むのだろう。
こんな時代があった、ということをリアルに受け止めるだろうか、
あるいは全くのお伽話かSFのように読まれるのだろうか。
読み終えた今は、それが気になるのである。
posted by Invisible Man at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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